「砥部焼」とは? 特徴や魅力、窯元や陶器市情報

砥部焼の起源と歴史的変遷

砥部焼の歴史は、18世紀の1777年(安永6年)にさかのぼります。この年、伊予国の大洲藩が独自の磁器製造を開始し、これが砥部焼の始まりとなりました。当初、伊予国は伊予砥と呼ばれる砥石の産地であり、砥石の屑を利用して新たな特産品を生み出し、藩の財政を立て直す試みが始まりました。

初期の砥部焼は、大洲藩の独自の技術によって製造されました。江戸時代には他の藩からの情報が限られており、独自性が強調されました。この時期の砥部焼は素朴な鉄絵が描かれ、徳利、皿、油壷などの日用品として幅広く使用されました。

明治時代に入ると、廃藩置県により他の陶磁器産地から技術が導入され、砥部焼は急速に発展しました。窯の改良や機械ろくろの導入により生産量が増加し、万年石の発見によって薄黄磁や高級な作品も製造されました。

大正時代には砥部焼の輸出が盛んになり、海外では「伊予ボール」として愛されました。昭和51年には国の伝統工芸品に指定され、平成17年には愛媛県の無形文化財に登録されました。

現代においても、柳宗悦などの民芸運動によって手作り・手焼きの技術が高く評価され、砥部焼の魅力は続いています。その美しいデザインと独自の伝統は、日本の陶磁器文化において特別な存在として評価され続けています。

砥部焼の魅力

砥部焼の魅力は、その多彩なデザインと使い勝手の良さにあります。例えば、清々しく白磁に藍色の顔料が施された器や、多彩な色を使った華やかな器、温かさを感じる器、みずみずしい印象の青磁など、さまざまな種類の作品が楽しめます。これらの器はデザイン性が高く、飽きがこないため、長く大切に使うことができます。その素朴な印象もまた魅力の一つで、日常の食事や生活を彩るのに最適です。

砥部焼の種類

国の伝統的工芸品である砥部焼は、白磁、染付、青磁、天目(鉄釉)の4種類が指定されています。

砥部焼の代表的な窯元

梅山窯

  • 梅山窯は、砥部焼の中で最も歴史のある窯元の一つで、明治15年に創業されました。その長い歴史の中で、砥部焼の伝統を守りつつ、新しいアイディアを取り入れています。
  • 梅山窯オリジナルの文様は、独自の技法で描かれており、「つけたての一筆書き」という特別な手法が使われています。これにより、唐草などの美しい文様が生まれます。
  • ぽってりとした厚みのあるうつわは、日常使いに非常に適しており、砥部焼らしい特徴を堪能できます。

森陶房

  • 森陶房は、1970年に開窯され、砥部焼の伝統を受け継ぎながら、独自のアプローチでうつわを制作しています。三代にわたり、家族の手で作られています。
  • 使い勝手の良さと楽しさを追求し、「森陶房らしいうつわ・世界観」を大切にしています。その結果、食事がより楽しく美味しくなるうつわを制作しています。

中田窯

  • 中田窯のうつわは、白磁に荒土を混ぜて焼くことで、独自の表情を持っています。そのため、どこか素朴で味わい深い風合いが特徴です。
  • 「用と美を兼ね備え、暮らしを豊かに楽しくする焼きもの」というコンセプトに基づいて制作されており、食卓の上で主張しすぎない多用途なうつわが評判です。

現代の砥部焼

現代の砥部焼は、伝統的な文様や模様をあしらった器の制作が減少し、その代わりに新しい世代の陶工たちによる現代的なデザインが増加しています。これは、現代の消費者が個性的なアートやモダンなスタイルを好む傾向に合致しています。砥部焼の新しい作品には、洗練されたデザインや斬新な色使いが特徴で、食卓やインテリアにアクセントを加えるのに適しています。

また、現代の砥部焼では女性陶工の増加が見られます。女性陶工たちは、家庭や暮らしの中での実用性を重視し、電子レンジや食器洗浄機にも対応できる器を制作しています。そのため、現代の忙しい生活に合わせた実用的な器が多く生み出されています。

砥部焼の陶器市ー砥部焼まつり

「砥部焼まつり」は、春と秋の年2回、砥部焼の陶器市として開催されます。このイベントには、約70軒の窯元が集まり、来場者数は年に10万人にも上ります。

まとめ

砥部焼は、その素朴な風合いと丈夫さから、日常使いの器として大変愛されています。このうつわに描かれる模様や色使いも非常に魅力的で、多くの人々に喜ばれています。

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