「瀬戸焼」とは? 特徴や魅力、窯元や陶器市情報

瀬戸焼の起源と歴史的変遷

瀬戸焼は、日本の陶芸技術の中で非常に重要な位置を占める伝統的な焼き物であり、その歴史は非常に長いものです。最初の瀬戸焼は、平安時代に遡り、猿投窯として知られる窯で5世紀後半に朝鮮から伝わった須恵器の生産が始まりました。これにより、古代の瀬戸焼の基盤が築かれ、灰釉陶器の時代へと移行しました。

灰釉陶器が主流となった時代には、施釉陶器の生産が始まり、瀬戸は日本全体に施釉陶器の生産地として広まりました。戦国時代から江戸時代にかけては、一時的に衰退期を迎えましたが、尾張藩主によって再び繁栄を取り戻しました。石皿や馬の目皿など、特有の瀬戸焼のスタイルが確立されました。

近代に入り、明治時代には瀬戸の陶器技術が急速に発展し、国際的な市場でも高い評価を受けました。しかし、戦後は競合他国との競争や後継者不足といった問題に直面しました。それでも、伝統技術を守りつつ、新しい技術を取り入れた瀬戸焼は、現代でも美しさと独自性を持ち続け、多くの人々に愛され続けています。このように、瀬戸焼は日本の陶芸の歴史と共に歩んできた、貴重な文化遺産と言えます。

瀬戸焼の魅力

器の代名詞である「せともの」は瀬戸焼のこと。瀬戸焼は、日本の陶芸技術の傑作であり、美しい白い素地が最大の魅力です。この素地は、耐火性が高く、柔軟性に富んでおり、鉄分をほとんど含まないため、繊細な形状や多彩な絵付けが可能です。瀬戸染付と呼ばれる青と白の調和が美しい技法は、青磁や白磁を彷彿とさせ、透明な釉薬を用いて焼き上げられます。伝統的な技法を守りつつも、最新技術との融合によって、瀬戸焼は革新的なデザインと高品質を保ち続けています。その多様性と美しさから、瀬戸焼は国内外で高く評価され、陶芸愛好家やコレクターに広く愛されています。

瀬戸焼の釉薬とその特徴

鉄釉(てつゆう)
酸化鉄を呈色剤とした釉薬で、瀬戸焼では鎌倉時代の13世紀末期から使用されました。鉄の含有量によって黄褐色から黒色まで発色し、瀬戸黒や天目釉、古瀬戸釉などがこれに該当します。

灰釉(かいゆう)
植物の灰を使用した伝統的な釉薬で、瀬戸焼の発祥時から用いられています。灰の不純物によって色調が変わり、酸化焼成では淡い黄緑色、還元焼成では淡い青色を呈します。御深井釉は、植物の灰を主原料としており、江戸時代に名古屋城下で焼かれた釉薬です。

黄瀬戸釉(きせとゆう)
微量の鉄分により黄褐色に発色する釉薬で、桃山時代の16世紀末期に美濃で開発されました。緑色のアクセントとして硫酸銅を使用したバリエーションもあります。

志野釉(しのゆう)
長石を中心に使用した釉薬で、白濁した白色に発色します。桃山時代の16世紀末期に美濃で開発されました。

織部釉(おりべゆう)
酸化胴を呈色剤として緑色に発色する釉薬で、千利休の高弟である古田織部が好んだことから名付けられました。瀬戸の陶工が美濃に移り住んで開発され、酸化焼成では緑色、還元焼成では赤色に発色します。

瑠璃釉(るりゆう)
呉須とコバルトを使用して紺青色に発色する釉薬です。瀬戸焼では、江戸時代後期の19世紀初期から磁器の製造が始まった際に使用され始めました。ただし、高価な呉須を多量に使用するため、一時期尾張藩から製作が止められたこともありました。特に明治時代以降には、火鉢や植木鉢などでよく使用されました。

青磁釉(せいじゆう)
微量の酸化鉄によって青色または緑色に発色する釉薬で、瀬戸焼では江戸時代後期の19世紀初期から使用され始めました。明治時代以降、特に盛んに使用され、クロムを使用したクロム青磁も瀬戸焼でよく見られます。この釉薬は、瀬戸焼の作品に独特の美しさと色彩を与えるのに使われます。

瀬戸焼の代表的な窯元

三峰園窯
瀬戸焼の伝統的な技法を守りつつ、優れた粘土を使用して欠けにくく丈夫な器を生産しています。この窯は、伝統とモダンを融合させた製品を意識しており、化学薬品を使用せずに手間をかけ、料理を引き立てる器を作っています。

瀬戸本業窯
250年続く歴史を持つ窯で、毎日使いたくなるような日常の食器を提供しています。ここでは、土づくりから釉薬づくりまで、すべての工程を自家製しています。地元の堅牢な粘土を使用し、高温で焼き締まらせることで、耐久性のある食器を生産しています。また、釉薬は自然由来の素材をベースに調合されています。

宝山窯
85年の歴史を持つ窯で、瀬戸焼の定番商品から他では手に入らない一点ものの製品まで幅広い商品を提供しています。この窯では、直接顧客と接することで、新しい作風や作品を提供し、日々製作に取り組んでいます。窯は、瀬戸焼の伝統と工芸品の創造性を結びつけ、独自のアイデンティティを持った製品を制作しています。

現代の瀬戸焼

明治時代に入ると、瀬戸窯業の基盤となる動力機械の導入やインフラ整備が進み、製造プロセスが効率化されました。具体的には、ロクロの操作を機械化し、模様は手書きから転写に変わり、窯の燃料も石炭や重油を使用したものに切り替わりました。

これらの変化により、瀬戸焼の陶磁器は大量生産が可能となりました。一般的には食器類が主流ですが、瀬戸焼は洗面台、便器、浴槽などの生産も行われています。またマグカップや洋皿など現代的なデザインのものも多く作られています。

瀬戸焼の陶器市ーせともの祭

「せともの大廉売市」は、瀬戸川沿いに約200軒ものせともの店が立ち並ぶ、日本最大規模の陶磁器のイベントです。このイベントは、普段使いの器から陶芸作品まで幅広い製品が揃っており、全国から数十万人の人々が訪れ、瀬戸焼の魅力を存分に楽しむことができます。

イベント内には「瀬戸の窯元ゾーン」や「若手作家ゾーン」などがあり、お気に入りの逸品を見つけることができます。特に「せともの大廉売市」では、定価の2〜5割引きで陶器を購入でき、陶器市として非常に人気があります。

また、イベントでは陶芸体験会や子ども相撲大会、ミスせともの・瀬戸スカウト協議会鼓笛隊パレードなど、楽しいアクティビティが用意されています。さらに、イベントの初日の夜には、秋の夜空を美しく彩る約1,000発の花火が打ち上げられ、お祭りの雰囲気を一層盛り上げます。

昭和7年から始まり、今では日本全国から多くの人々が訪れる、瀬戸焼の伝統と魅力を体験できる素晴らしい機会となっています。

まとめ

多種多様な器を産み出した器の産地「瀬戸」。今も昔も日本の食卓を彩っています。器好きなら一度は訪れたい産地ですね。

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